南東北・長野 2001.04.21〜22


2001/04/21(Sa)
まだ夜も明けぬ4:30、起床。一泊二日で南東北と長野に出かける。今回は一人ではなく、長女の歩美を連れていく。お互いどこまで我慢できるやら。
今回使うきっぷは、JR東日本の「土・日きっぷ」。米坂・陸羽東・石巻各線以南のJR東日本管内が、土日の2日間乗り放題で大人\16,000、子供\4,000だ。かつての「ウィークエンドフリーきっぷ」が、JR東日本全線フリーで同額だったことを考えると値上げのようにも思えるが、代わりに指定席が使えるので考えようによっては便利になったとも言える。
朝一番の東北新幹線「Maxやまびこ31号」で発ちたいのだが、「やまびこたび7きっぷ」(朝イチの新幹線指定席を利用して往復すると約半額になるきっぷ。一週間前までに購入が条件)のせいかこの列車の指定は満席。自由席を利用する。
最近、長女も4歳になり、列車でひざの上にだっこされるのがいやらしい。私も混んだ列車でヒザだっこはいやなので、子供分のきっぷも買っておいた。
混む列車の自由席を利用するとなれば、早起きせねばなるまい。西馬込5:00発の浅草線始発列車に乗る。子供はまだ眠そうだ。
新橋で京浜東北線に乗り換え、東京駅ヘは5:30前に着いた。新幹線ホームヘ急ぐ。が、改札機の前には十数人の人だかりが。一瞬トラブルかと思ったが、注意書きを見れば「改札は5:30から」らしく、皆改札が開くのを待っているようだ。TOKYO STATION
5:30を回り、改札を通り抜けてホームヘ急ぐ。すでに入線している列車のドア前に並ぶ。あたりを見回すが、数えるほどの客しかホーム上にいない。早起きしすぎたか?
先頭車の前で子供の写真を撮ったりして過ごす。さっさと列車のドアを開けてほしいが、いっこうに開く気配がない。
そうこうしているうちに少しずつ並ぶ列が延び、一列20人くらいになった5:50ころ、ようやくアナウンスと共にドアが開いた。目指すは2階ドア際の二人席だが、我々は列の先頭だったので無事確保できた。弁当とお茶を買いこみ、いざ出発!
私の朝食は今買った弁当だが、子供はけさ妻が炊いておいた炊き込みごはんのおにぎりだ。お茶とおにぎりを持たせておいて、ゆっくり飯を食う。座席が別だと本当に楽だ。
食事が終わり、子供におやつを与える。今日の分(の一部)ということでラムネ菓子を与え、「今日一日分だぞ」と言い聞かせておいたのだが、福島に着く頃には一粒のこらず平らげていた。・・・先が思いやられる。
少しずつ乗客が増減するものの、客室には立ち客が出ないまま列車は仙台着、肌寒い。私はTシャツの上に一枚シャツを着ているだけ、子供は半ズボンだ。
すぐ接続の仙山線快速へ乗り換える。てっきり455系統だと思っていたが719系で拍子抜けする。北仙台の立派な駅舎が見える。降りてみたい駅がまた一つ増えた。
列車は快調に飛ばす。途中、愛子を過ぎたあたりで左側の車窓がひらける所がある。列車は山の中腹を走り、眼下に谷を見下す所で、仙山線に昼間乗るたび気になる区間だ。今日は晴れており、眺めは抜群だ。
山寺で下車。社寺風の駅舎で、「いかにも」という雰囲気を醸し出している。
目の前の山の中腹に展望台らしきものが見え、そこに人がいるのもわかる。あそこを目標に、子供と共にいざ登らん。寒くてふるえてしまう気温だが、これから山に登ることを考えると、わりあい適切な服装かもしれない。
同じ速さで登っているはずなのだが、まわりの草木その他もろもろが気になってしょうがないのか遅れていく子供。先に行くと怒るのでそのたび立ち止まる。かえって疲れる。
まだ9時台なのだが、下ってくる人が結構いる。ほとんどが年配の方で、とても疲れた表情をしている。うちの子供が文句言いながら登ってくるのを見て、声をかけてくれる方が多く、そのたび子供は気持ちを入替えて登っていく。YAMADERA
途中2・3度の休憩をはさみ、無事に展望台に到着。思ったほど辛くなかったのは、それほど坂がきつくないこともあるが、涼しいということもある。千葉の鋸山はキツかった。暑い上に道に迷い、子供はへこたれるし自分は足に力がなくなってくるしで散々だった。
山寺駅が眼下に望める。今日は晴れており、かなり遠くまで見渡せる。
周辺をぶらつき、子供がぐずってきたので下山する。こんどは登ってくる人に声をかけられ、子供はご機嫌だ。調子に乗って放送禁止用語をロにしたため叱ったら、すねて歩かなくなった。困ったやつだ。
駅近くの土産店で、会社の同僚に聞いていた「洋なしグミ」を買う。
再び仙山線で山形へ。改築された駅舎が多く、がっかりする。鉄道ファンの勝手な望みだが、残せるものは可能な限り残す、そんな施設更新であってほしい。
羽前千歳で奥羽線に合流する。と言っても、あちらは標準軌なので厳密には「合流」ではなく「並走」だ。てっきり三線(一つの路盤にレールを3本敷き、軌間の異なる2種類の列車が通れるようにした構造)かと思っていたが、上りと下りで軌間を分けている。
山形の手前で、左側に山形城趾とお堀が見える。ここも好きな区間で、桜舞うこの季節は歩いてみたくなる。
山形で「つばさ」に乗る。腹が減ったので、子供にはサンドイッチ、私は弁当を買っておく。
車内で食べようと包みを開けたが、揺れがひどく、満足に口へ食べ物を運べない。とても「新幹線」の乗り心地ではない。飛ばすのは結構だが、線路は大丈夫なのだろうか。
我々が乗った車輌は村山までにほとんどの乗客が降りてしまい、子供が少々奇声を上げても周りに気を遣わずに済む。
新庄駅はその構造に唖然とする。ホームが「H」字型をしている。元々対向ホームだったのが、真ん中で線路をぶった切り通路を通している。使いにくいしみっともない。金がないのはわかるが、もう少しなんとかならなかったのだろうか。
陸羽東線のディーゼルカーに乗り換える。速度は半分だが、さっきの「つばさ」より乗り心地が良い。
14年前(1987年)の8月8日、当時新潟県新発田市在住の中学生だった私は、友人と2人でこの路線を訪れているが、それ以来の訪問となる。10年以上もご無沙汰だったJR路線はここくらいだ。当時は朱色一色のキハ48に乗り、行き違いで長く停まった羽前向町(現・最上)で硬券入場券を買ったりしながら通り抜けた。今回は鳴子あたりで温泉に入るつもりだ。
瀬見温泉は、駅ホームの案内によると、公衆浴場が2軒あるようだ。あまり知名度の高くない温泉だけに、ちょっとそそられるものがある。
気がつくと子供が眠ってしまっている。今朝は早起きして山に登ったので疲れたのだろう。
雪が残る山々を眺めながら列車に揺られ、わずかな乗客とともに鳴子温泉に着く。ここで小牛田方面の列車に乗り換えとなる。新庄−鳴子温泉間で交換設備があったのは最上のみ、約50Kmが2閉塞だ。
鳴子温泉の駅は14年前も下車したはずだが、全く記憶にない。駅舎が左右どちら側かが記憶と違い、裏に川があることなど覚えてすらいなかった。
次の鳴子御殿湯あたりで温泉に入ろうかと思う。このまま下車してもいいが、次の川渡温泉まで行ってもすぐに引き返せる列車があるので、せっかくだから行ってみる。子供が、車内で老婦人のグループにアイスクリームをいただいた。今日のような肌寒い日にアイスはないだろうと思うが、子供はすこぶるご機嫌だ。
川渡温泉で下車。味気ないカプセル駅舎の中には、高校生数人がたむろしている。その、「駅でたむろする」という行為自体が、とてつもなく田舎くさいということを彼らはわかっているのだろうか・・・。
温泉街へは少し離れているらしく、駅前に温泉の風情はない。だが、公衆浴場があると案内板に書いてある。これはちょっと要チェックだ。
アイスが食べたいとせがむ子供を駅前の植えこみに座らせ、フタを開けてやる。嬉しそうに食べるが寒そうだ。NARUKOGOTENYU
ホームで子供と石を投げたりかけっこしたりして遊びながら戻る列車を待つ。足が速くなっていて少し驚く。
一駅戻って鳴子御殿湯で下車、入浴できるところを探す。下調べなしなので適当に歩いたが、真っ昼間ということもあってか宿は表玄関に人がいない。「組合員以外入浴を禁ず」と書かれた貼り紙のある公衆浴場以外はこれといって見つからず、いちるの望みを託して川向こうの宿「紅せん」へ行ってみると快くOK。さっそく入浴する。
清潔で広い風呂に浸かる。幸せー。子供は熱がって、入らずに遊んでいる。
宿の人に礼を言い、駅へ戻る。鳴子御殿湯の駅は築堤上にあり、普通のローカル駅とは違った雰囲気がある。裏に植えられた桜が見事だ。乗りこんだ古川方面行きの列車はガラガラで、子供と2人掛けのボックス席で過ごす。車窓にキジが走っていくのを見かけた。あんな格好をして思いの外足の速い鳥だ。
岩出山で列車行き違いのため数分停まる。駅前に出てみると、当地とどんなゆかりがあるのか、小型のDLが展示してある。駅舎は簡素なカプセル駅舎だが、旧来の駅舎も隣に現存しており、「鉄道資料館」となっている。これはまた興味をそそるものを見つけてしまった。
西古川にSLが飾ってあるのを見て、子供が「汽車に乗りたい」と言い出した。急いで時刻表をめくり、SL列車をさがしたが、明日運転の列車で楽しそうなのが見つからず、断念。また連れていくから、待っててね。
古川からは新幹線に乗る。次の列車は「こまち」を併結している。子供と自分なので、窓口で2人掛けの席を頼んだら、「こまち」側の指定を渡された。窓口の方は気を利かせたつもりだろうが、フル規格新幹線用に製造された車輌の方が、客室が広々としていて私は好きだ。それがたとえ初期の200系車輌だとしても。
列車は次の仙台を出ると、降りる予定の大宮までノンストップ、淡々と240Km/h走行が続く。人の動きもなく、退屈だ。子供はしばらくは絵を描いて遊んでいたが、やがて寝てしまった。
大宮で乗り換え、今日の宿泊地である長野をめざすのだが、しばらく長野行「あさま」がない。そろそろ2人ともお腹が空いてきたので、高崎まで上越新幹線で先行して食事することにした。
一応指定を取ったもののガラガラの「たにがわ」に乗り、高崎で下車する。が、子供の機嫌がすこぶる悪く、歩きまわろうとするとその場にへたり込んでしまう。仕方がなく、近くのファミレスに子供を抱き上げながら入る。これなら大宮で食べても一緒だった。
食べおわって駅へ戻り、次の「あさま」の指定を取ろうとしたとニろ、50分以上も先までない。本当はもっと頻発しているのだが、たまたま次の列車は高崎通過なのだ。4歳児を連れているだけに、できるだけ早い時間に宿へ入りたかったが、どうやら21:00を回りそうだ。
ホームに上がり、やってくる新幹線を子供と眺めながら過ごす。通過列車の速度が子供には驚きなのか、目を真ん丸にして貝ている。
20時近くになってようやくやってきた「あさま」に乗り込む。空いており、座席をめいっぱい倒して過ごす。子供は隣の3人掛け席で寝転がっている。
今晩泊まる宿は、長野から長野電鉄でふた駅目の権堂にある。新幹線を降り、子供の手をひきながら電鉄駅へ急ぐ。
地方都市には珍しい地下駅となっている電鉄長野駅では、次の列車を待つ人が改札の前に集まっていた。列車間隔がおよそ15分の当駅では、常時改札に駅員がいるわけではないらしい。
10分ほど待ち、やってきた信州中野行に乗る。長野電鉄では営団日比谷線の旧型車を大量に購入して使用しているが、2輌のワンマン列車とはいえ、うす暗い地下ホームに発着するその姿は、かつての日比谷線そのものだ。
地下駅の権堂で下車する。大勢乗るが降りたのは我々2人の他は一人だけ、地上に出てみて納得する。東京の銀座、札幌のすすきの、岐阜の柳ケ瀬。そう、歓楽街なのだ。さすがに21時を過ぎてはここで降りる人は少ないだろう。
宿への道順がわからず、電話で誘導してもらい、無事に到着。安いがきれいなホテルで、気に入った。
子供と軽くシャワーを浴び、べッドに横になる。最初は母親恋しさか涙ぐんだりしていたが、30分ほどで寝息がきこえてきた。疲れたのだろう。私もまぶたが重くなってきた。寝る。


2001/04/22
6:30に起きる。もう外は明るい。子供を起こし、フロント脇のダイニングヘ向かう。私としては珍しく朝食を予約しておいたのだ。
食事は和食で一膳分しかないが、子供の分のごはん茶腕と箸は用意されている。ごはんに納豆と海苔、それに茄子味噌を乗せてやったら、満足げに食べている。なかなか旨い。ビジネスホテルの朝食としては、品数もボリュームも満足のいく内容といえる。
長野駅前を8:20に出発するバスで白馬駅へ抜けようと考えている。宿を7:45に出て子供とじゃれあいながら権堂駅に着いてみると、長野行電車は行ったばかり。次の列車まで20分近くある。
地上にバス停があったのを思い出し、上ってみるとこれがまた行ったばかり。ついていない。
7〜8分待てば次のバスが来るようなので待つ。今日もいい天気だ。
長野駅前から出るバスは特急バスの八方行、時間的に混むことはないと思っていたが、乗客は我々の他に3〜4人しかいない。一番前の左側2席に陣取る。景色が楽しみだ。
空いている高原道路を快調に飛ばす。恐怖すら感じる速度でカーブを曲がるので、眠いのに寝ることができない。こんなバスには初めて乗った。隣に座っている子供はそんなことお構いなしにお菓子を食べている。
白馬駅に9:20着。目の前の白い山々が、青く晴れわたった空によく映える。
次の列車まで30分余りあるので、駅前の喫茶店で時間をつぶす。ケーキセットを子供と分けようとしたら、私が注文するより早く「歩美はね、オレンジジュースがいいなー」と口走っている。店の人もそれに相槌を打っている。仕方なく、ケーキセットとオレンジジュースを注文、子供を少し叱る。
リンゴのパイのようなケーキだったが、なかなかおいしい。子供にも分けたが、全部自分のものだと思っていたらしく、私がケーキを口に運ぶたび不満げな顔をする。バカタレ。
喫茶店から駅舎がよく見える。JR東日本が運営するホテル「フォルクローロ白馬」を2階に併設した駅で、きれはきれいなのだが色合いが寒色系で、元々冷涼な気候ということもあり寒そうな印象を受ける。
やってきた松本方面の列車はE127系のワンマン列車。クロスシート(ボックスシート)とロングシートを互い違いに配置してある。最近はこのJR東日本謹製「エセ(通勤型っぽい見た目、という意味で、電車であることは確か)」通勤電車に違和感がなくなり、肯定的にとらえるようにすらなっている。新車、完全冷暖房、高加減速性能と、ハード面はこれまでの車両をはるかに凌駕している。ただ、問題はソフト面で、未だにワンマン列車のシステムを乗客に伝え切れていない。車内に掲示してある案内図を改めて見ても、いまいち理解できない。
海ノ口で下車する。目の前に木崎湖が広がり、開放的な雰囲気だ。停留場(交換設備がない)ながら、わりあい立派な木造駅舎が残っている。
時間があるので、隣の稲尾駅まで木崎湖沿いの国道を歩いてみる。が、歩き始めて5分、子供がトイレに行きたいと言い出した。仕方がないのでコンビニで用を足し、お礼に缶コーヒーとチュッパチャップスを買う。
20分ほどで着いた稲尾駅は、ぱっと見駅だかなんだか解らないような構造で、細い鉄骨で組んだホームに2畳程度の待合室があるだけだが、ここからも湖が望めて気持ちよい。
折り返しの南小谷行きに乗る。このまま大糸線を北上し、糸魚川・直江津を経由して湯沢に抜けようと思う。
スキー場の多い区間を走るが、さすがに麓に近いスキー場はすでに雪はなく閉鎖しており、ひっそりとしている。雪のないスキー場は、ハゲ山に無粋な鉄杭が連なって立っているだけで、実に無様な景観だと思う。OONO
南小谷ではすぐに接続する糸魚川行きに乗り換える。大糸線はJR東日本管轄の当駅までが電化区間で、この先JR西日本の管轄する区間は非電化、しかもフォッサマグナの真っ只中を進むため景色が変化に富んでいる。
今回使う切符はJR東日本専用のため、途中の平岩までの切符を別に購入して乗る。なぜ平岩までか? この列車は平岩で交換待ちのため数分停車する。その間に駅前に出てみようと思っているのだ。
この区間を走っているのは古豪キハ52、キハ20系列の最後の仲間となってしまって久しい。単行運転ができて2エンジンという仕様が幸いして今日まで生き残っているが、やはり疲れは隠せず、外見も内装も相当に痛んでいる。
エンジンをふるわせながら20分ほど走り、平岩に着く。駅前に出てみるが、人気がなく、谷間の秘境といった風情が漂う。
前回ここを通ったときは災害復旧直後で(1995.7〜1997.12まで大糸線北部は災害で不通だった)、真新しい河川敷や鉄橋が生々しかったものだが、現在はさすがにあたりの景色にとけ込んできている気がする。
頸城大野で下車。前回通ったときに駅舎に惹かれ、いつかくると決めていた駅だ。駅前では田んぼの代掻き真っ最中、新潟県らしく駅前の通りは赤っぽく色が変わっている。消雪パイプの水に含まれる鉄分がアスファルトを染めてしまうのだ。
駅舎は小さいがしっかりとした木造のもので、無人ながらきれいに掃除されている。地元の方が掃除されているのだろうか。
一駅戻って根知でも下車する。平岩方面の険しい地形がようやく穏やかになってきたあたりにある駅で、あたりは静かだが人家がわりあいある。桜があまり咲いていない。品種が違うのか、このあたりは開花が遅いのか。
糸魚川行きの列車に乗り込もうとしたところ、駅にいた親子連れからアイスクリームをもらった。子供は大喜びで車内で食べている。アイスクリームをもらったのはこれで2度目だ。
KIHA52 姫川の駅を過ぎたあたりで、スーパー銭湯のような温泉施設を見かける。当地らしく「ヒスイの湯」となっている。姫川駅に下車した暁には、ぜひ入浴してみたい。
糸魚川ではすぐ接続する新潟行きの特急に乗る。ふと構内にたむろっている車両たちに目を向けると、見慣れない気動車が排気ガスををたなびかせている。ややっ!あれはキハ187系では? 山陰地区で使用される予定の高性能気動車だ。新潟鉄鋼製なのだろうか? 現地までの自力回送中? いろいろな憶測が頭の中を駆けめぐる。しばらく見ていたいが、子供が腹が減ったとわめきだした。
ホームの売店で弁当を選んでいると、また子供が「歩美はこのお菓子がいーなー」などと言い出した。今朝、白馬駅前の喫茶店で叱られたばかりだというのに!
エビ釜飯を買って新潟行き特急「北越」に乗り込む。車内で子供と食べようとしたが、エビだけでいいと言うので殻を剥いて渡したら、おいしそうに食べている。私は「エビなし釜飯」を平らげる。
梶屋敷・浦本・有間川・谷浜の駅はすごい。まるで開業当時からのような(造りが明治の雰囲気を持っているあたりからしておそらく本当に開業当時)駅舎が健在だ。痛んではいるようなので、早めに来なければ悲しい思いをすることになりそうだ。
直江津で降りようとしたところで、子供が涙ぐんでいる。なぜかと聞いたところ、「釜飯が食べたかった」・・・。さすがに怒ってしまった。
直江津ではすぐに接続する北越急行線の列車に乗り換える。かつての重厚な駅舎は姿を消し、軽薄な橋上駅舎に生まれ変わった。デザイン優先な印象が否めない。
北越急行の電車のいるホームには売店がなく、仕方なく子供に与えた食べ物は、自宅から持参した飴。悪いことをした。
単線ながら快調に飛ばす。さすがに特急が140km/hで走行する路線だけのことはある。あまり乗客が入れ替わらず、静かな車内で子供は眠ってしまった。
うらがわら駅のあたりは、かつて頸城鉄道が通っていたはずで、高架上の列車からでは遺構を探すことはままならないが、いつか降りて歩き回ってみたい。そして、鉄道の痕跡を見てみたいものだ。
私もうつらうつらしながら時間は過ぎ、十日町に着く。途中の駅で、急行「能登」用の489系電車とすれ違った記憶があるのだが、何駅か思い出せない。わりあい人の乗り降りがある。ここで、はたと重大なことに気付いた。私としたことが、キセルをやってしまったのだ。
数時間前、根知の駅で整理券を取って列車に乗り込んだ。そして、糸魚川で特急に乗り直江津で降りた。この、根知−直江津が無賃なのだ。ついでに言うと、糸魚川−直江津の自由席特急券も払っていない。
しばらくどうするか考えたが、「JR西日本区間にはもう戻らないし、気付かなかったことにしよう」、ということに落ち着いた。我ながらご都合主義だが・・・。JR西日本さん、ごめんなさい。
乗っている列車は普段は六日町止まりだが、今日は越後湯沢まで直通運転する。途中の塩沢に停まるので、ここで降りることにした。
と、思っていたら、この車両はは六日町止まりで、すぐ向かい側に停まっている接続列車に乗り換えろとアナウンスがあった。いわゆる「車両交換」というやつだ。乗り換え乗客を乗せた「引継ぎ」列車はすぐに発車した。またキセルするのはいやなので、ここで運転士に北越急行分の運賃を払っておく。
塩沢で下車。頸城大野同様、駅前の道が赤い。ここは豪雪地帯、消雪パイプが必需品なのだ。
駅裏を関越道が通っている。駅周辺ののどかな情景を見た後だと、そこだけ別世界のように感じてしまう。
今回の旅は天候に恵まれていたのだが、ここにきて雨がぱらつき始めた。陽は照っているのだが、風も出てきて寒い。子供をシャツの中に潜り込ませてしのぐ。
折り返し五日町へ向かう。やけに色合いの派手な電車がやってきたと思ったら、ジェフユナイテッド市原の広告電車だ。やることに品がないと思うが、西武鉄道も山口線や4000系はライオンズカラーだから一緒なのかもしれない。
列車は途中、さっき列車を乗り換えた六日町で数分停まる。この間に駅前に出てみる。街の規模を考えるといささか分不相応な気がする大きな駅舎で、ギャラリーを併設している。橋上駅舎にする理由がここも希薄な気がするのは、私だけだろうか。
売店でチョコレートを買い、子供に渡す。但し、今度は「お父さん(注:私のこと)がいいと言ったときしか食べてはダメ!」昨日の朝を繰り返すのはゴメンだ。
五日町で下車。駅裏にデンカセメントのプラントがあるが、駅前は閑散として人気がない。あたりを歩いてみるが、商店といえるものは開いている様子がない。コンクリートモルタルの平屋駅舎で、横に長いこのタイプの駅舎が上越線には多い。
子供が、日陰に残っている雪で遊んでいる。どうでもいいが、そこは側溝の上だ!危ないんだってば!!
折り返して湯沢方面の列車に乗る。困ったことに、子供は口の中に物がなくなると次のチョコレートをほしがる。頑として受け付けないべきなのか、空腹ならば、と与えるべきなのか・・・。
越後湯沢で下車、新幹線に乗り換える。次の東京行きまで30分ほどあるので、売店でお土産を物色する。柿チョコがあるので妻への土産にする。大好物なのだ。
子供はチョコを食べて空腹ではない様子だが、私はかなり減ってきた。立ち喰いそばの匂いに我慢できなくなり、子供をほっぽってそばをすする。父親失格だ。子供は別に気にしていない様子で、売店のおもちゃに心奪われている。
東京までの指定を取ろうとしたところ、次の列車はMax、しかも2階は空いていない。Maxの1階は景色が見えない上に暗くて好きでないのだが、やむを得ない。
ホームに上がって列車を待っていると、ほどなくMaxが進入してきた。子供は大はしゃぎだが、1時間半もMax1階に乗るかと思うと私は気が重い。
指定された席は9号車1階。階段を下り、子供と腰掛ける。乗客は我々の他には一人女の人がいるだけだ。2階は満席なのに、1階はこんなものなのか。車掌が検札に来て告げた言葉も「好きなところに座って構いませんよ」。そういえば、この列車が次に停まるのは大宮、つまりもう客は増えないってことだ。やったー!
早速子供と席を移る。やることはもう決まっている。3列席を向かい合わせてフルリクライニングだ。子供はごろ寝しながら絵を描いて遊び、私は足を延ばしてコーヒーをすする。Max1階は景色が全く見えないと記憶していたが、進行方向右側は防音壁まで距離があるのでいくらかは見える。もう夕暮れ時だ。
昨日子供と暇をつぶした高崎駅を通過し、東北新幹線が寄り添ってくると大宮、さらに30分余りで東京に到着する。・・・はずが、東京駅停車位置の1メートル手前で停車、ドアは開かないし、アナウンスは「しばらくお待ち下さい。原因を調査中です・・・」を繰り返すばかりだし、なにが起こったのかまるで解らない。2〜3分そのままの状態が続いて、列車はそろそろと動いて停車、無事ドアが開いた。結局原因は解らずじまいだった。
山手線、都営浅草線を乗り継ぐ。子供は疲れて甘えてくる。かわいいのだが、こっちも疲れているとそれに応えてやれないのが辛い。体力を付けないと・・・と感じる一瞬。
無事自宅に着いたのは19時近くになってからだった。2日も子供と離れたのは久しぶりな上に、今回は子供側が動き回っていたので、妻は結構心配したらしい。俺のことは?
MAX

行程 先頭へ

2001/04/21(Sa)
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2001/04/22(Su)
権堂=<長野電鉄バス?>=長野駅前820=<川中島バス>=920白馬駅前・・白馬954-<338M/クモハE127-1017/2/1>-1020海ノ口・・稲尾1050-<331M/?/2/?>-1136南小谷1149-<433D/キハ52156/1/1>-1233頸城大野1301-<432D/キハ52156/1/1>-1309根知1323-<435Dワ/キハ52124/1/1>-1338糸魚川1346-<1055M LE:北越5/?/?/?>-1409直江津1414-<841Mワ/HK100-17/1/1>-(六日町)-<9841Mワ/HK100-10/1/1>-1519塩沢1532-<1743M/モハ114-1112/3/2>-1550五日町1612-<1742M/クハ115-1046/3/1>-1640越後湯沢1712-<324C LEs:Maxあさひ324/E148-2/12/9>-1828東京1835-<<1731C>/モハ208-51/10/7>-1838新橋-<<27T>/5307-1/8/1/都営>-泉岳寺-</5317-1/8/1/都営>-西馬込