SLばんえつ物語 2001.10.12〜10.14

以前から、歩美が「きしゃ ※注:蒸気機関車(SL)のこと」に乗りたがっていた。10/6・10/20と予定が二転三転したが、10/12の夜出発・10/14夕方帰宅で出かけることになった。
「夜出発」? そう、夜行列車で出発なのだ。歩美は夜行列車初体験だ。さて、どうなることか。

2001/10/12(Fr)
今日は定時で急いで帰宅、2泊3日で長女歩美と出かける。今晩の中央線夜行急行「アルプス」で長野県の大糸線へ向かい、駅を巡って夕方には新潟県の越後湯沢に着き、一泊してから新潟−会津若松間を運行する「SLばんえつ物語」号に乗る予定だ。私自身は何の用意もしておらず、急いで荷造りする。
今回使用するのも「土・日きっぷ」。土日に限ってJR東日本南半分が乗り放題のきっぷだ。だが、急行「アルプス」は新宿を23:50に出発する。きっぷはあくまで13日から有効なので、そのままでは乗れない。指定券も日付の変わる立川からしか取っていない。というわけで、立川まで行って急行「アルプス」に乗り継ぐことにした。
私の住む西馬込から立川へ行くのであれば、混雑する中央線を避け、南武線を利用したくなる。幸い、川崎行きのバスは22時過ぎまであるので、これを利用することにする。5歳児を連れて歩くには夜遅すぎるきらいがあるが、放蕩親父を許せ、歩美。
風呂も入って、眠そうな目をしている歩美を見ながら、はたと気づいた。宿を取っていない!!! 急いで、よく利用するインターネットの宿予約2つ(www.coo.ne.jp、www.mytrip.net)を探し、越後湯沢で空いている宿を見つけて予約を入れておく。回答は明日朝午前中までにくるようだ。

22:00、出発。バスは勤め帰りの乗客で混んでおり、歩美は私の膝上に座る。一番前の左側、前がよく見える特等席だ。
自宅近くの池上本門寺では、この週末に「お会式」という催しがあるようで、前夜祭なのか人が大勢第二京浜を歩いている。まるで祭り帰りの風情だ。
川崎では南武線に乗る。始発なので座れたが、さすがに混むのでここでも歩美は私の膝上に座る。途中から押し合いへし合いの大混雑になり、目の前の女性が恨めしそうに私を見ている。
気が付くと歩美は眠りこけていて、あまり気を遣わずに済んで立川に0:05着。川崎で入場したイオカードは一度改札を通し、改めて土日きっぷで改札を通る。
さすがに日付の変わった駅ホームやコンコースで、5歳児連れは浮いている。酔った視線があちこちから向けられる。犯罪の臭いでも漂っているのか?
程なくやってきた急行「アルプス」に乗り込む。歩美の分のきっぷも買ってあるので、横並びの2座席を使って横になれるのはありがたい。夜中に起きたためかしばらく興奮して寝なかった歩美も、しばらく相手をしていたら大人しくなり、持ってきた自分のタオルケットにくるまって私の上で寝てしまった。おやすみ。明日は5時過ぎの簗場で降りるぞ。

2001/10/13(Sa)
目が覚めると簗場停車中、寝過ごした・・・。急いで歩美を起こし、次の神城下車。「登山補導所」といういかめしい名前の施設を併設した駅舎がある。
朝焼けがきれいだ。空気がきれいなこともあるが、透明感がある。遠くの山並みに日光が当たり、紅葉した山肌が赤く見える。歩美はピンク色をした雲を見て大騒ぎしている。
後続の列車で信濃森上へ。一度降りてみたかった駅で、短い時間だが念願がかなった。木造駅舎に青い屋根が良く似合っている。
戻って南神城。駅裏に山の斜面、駅前に人家はまばら、スキーシーズン以外は存在意義が希薄な駅かと思いきや、駅前に開設記念碑が建っている。ホーム待合室には旅行者が一言記していくノートもおいてあり、思いのほか利用があることを知った。
昨日川崎で買っておいたおにぎりで朝食にする。一緒に買っておいたオレオが気になってしょうがない歩美。本当に、甘いモノ好きだね・・・。
飯森に下車、折り返してちょっと居眠りしながら信濃木崎。残念ながら古い駅舎は建て替えられている。ここで歩美はトイレタイム。建て替えられて助かるのは、トイレが劇的に改善されることだ。
40分くらい列車がないので、あたりを散策する。寒い。歩美は木の皮をはがして遊んでいる。虫だ。
駅前の用水路をぼけーっと眺めていたら、土が一瞬動いた。しばらく見ているとまた動いた。目を凝らすとサワガニがいる。そろそろ冬支度の季節だろう、動きが鈍いようだ。歩美
霧が濃くなってきて辺りが霞んでいる。朝早くより、少し日が昇った方が霧が濃いということに初めて気づいた。
信濃常盤下車。ここは古い木造駅舎。駅やホームの植え込みを、地元ボランティアの方が手入れしている。戻って南大町でも下車、信濃大町まで一駅歩く。日が昇り、だいぶ暖かくなってきた。パーカーを脱いで片づける。

歩きながらザウルスでメールをチェックしたところ、昨晩予約を申し込んだホテルは満室との回答があった。ガーン。仕方がないのでPHSから旅の窓口に接続して探したが、湯沢には希望の宿がない。場所を変え、新潟市内で検索したところ駅に近い(というか直結)のホテルが朝食付きで7000円ちょっとだったのでここに決める。温泉に浸かりたかったなーー。
大町は立山黒部アルペンルートの長野県側の玄関で、立派な駅舎が建っている。また列車に乗り、信濃松川下車。ここも古い駅舎が残っている。駅前の町営施設に喫茶店があるようなので入ってみたが、店は営業していない。仕方なく休憩だけ。歩美は紙とペンを出して絵を描いている。このあたりに「いわさきちひろ記念館」がある、妻が以前行きたがっていたような気がする。
戻って安曇沓掛下車。駅名は趣があっていいが、駅はホーム片面に粗末なトイレと待合室があるだけ。だれもいないホームで歩美とじゃれ合っていると、ゴミ拾いボランティアの団体がやってきて、辺りの掃除を始めた。ボランティアによく遭遇する日だ。
歩美がお調子者になっている。会う人全てに、運動会でやった「南の島のハメハメハ大王」の踊りを披露している。恥ずかしいが叱るわけにもいかず、苦悶。
安曇追分柏矢町・安曇追分と下車。古い駅舎の前に木陰があり、駅前も静かな雰囲気。背後にアルプスの山々が連なり、すがすがしい。好きな駅が増えた。
穂高下車。駅にギャラリーを併設してある。こういう同居の仕方が全国に見られるが、疑問を感じる。お互いにメリットが薄すぎる気がする。駅に来る人は絵を「見る」ことはするだろうが買いはしないだろう。絵を買いに来た人は列車には乗らない。かさばる荷物をもって列車利用は苦痛だからだ。
また戻って有明下車。かつては急行停車駅だったようだが、駅は閑散としている。山小屋風でいい駅舎なのだが。
歩美が少し機嫌悪し。朝から駅に降りたり列車に乗ったりを繰り返しているので、ストレスが溜まっているようだ。どこかでガス抜きせねば、爆発すると手がつけられない。
中萱下車。駅脇に小さな緑地があり、ブランコがある。歩美は走ってそこへ行き、全力でブランコを漕いでいる。
戻って南豊科下車。ここから隣の豊科まで歩く。線路沿いを歩いていくと、比較的大きな公園があった。時間に余裕があるので、しばらく休憩、ここで歩美と遊ぶ。
滑り台がお気に入りで、何度も登っては降りてくる。見知らぬ子どもとも仲良くなって、一緒に遊んでいる。子どもは仲間を作るのが上手だ。
豊科の町中を歩く。家の前のドブで何かをさらっている子ども達がいる。水槽を見るとカニがいる。町中でサワガニが採れるとは・・・豊科恐るべし。
島内・一日市場と下車。しばらく時間があるので喫茶店でも探そうかと歩き始めたら、歩美がいつもの調子で「タクシー乗りたい。」・・・まあ、今日はよくついて来てるし、たまには聞いてやるか。
駅前で暇そうにしているタクシーに声をかけ、隣の梓橋駅まで行く。駅名に違わず、梓川のほとりにある駅で、駅から橋が見える。
松本の一つ手前、北松本で下車、松本まで歩く。既に親も子も疲れのせいか力が抜け、友達同士のようなしゃべり方で歩いている。途中で歩美が転び、半泣きになっている。さらに、道行く人がみな微笑んでいるのを笑われていると勘違いしたらしく、えらい剣幕で怒り出した。なだめるのに一苦労。眠いな、これは。
松本の街は古い街並みが残り、歩いてけると面白い。松本電気鉄道にも確か古い駅舎がいくつかあったはずなので、いずれまた来よう。
篠ノ井線電車で明科下車。わりあいひらけている駅前で軽食を買う。今日も朝から頭痛がひどく、イライラして歩美と衝突してはまずいので、ついでにバファリンも買っておく。
ここから今日の宿泊地新潟までは、特急・新幹線の乗りつぎとなる。まずは「しなの」。JR東海の誇る振り子電車で、デザイン・居住性ともに東日本の「スーパーあずさ」より上だと私は思っている。
さっき買った食事を車内で平らげる。歩美が私より食べたのに驚いた。おにぎり2コにメンチカツ食べちゃったよ!
30分ほどで長野へ着き、すぐ接続の「あさま」で高崎へ。・・・不覚にも眠ってしまい、気がつくと軽井沢に停車中。長野を出てすぐに飲んだバファリンが効いて、頭スッキリ。
高崎で40分ほど待ち、新潟行の「Maxあさひ」2階に乗る。歩美は喜び勇んで階段を登り、またコケた。最近、ころぶ時でも手が出るので、顔に傷を負うことが少なくなった。成長したな。しみじみ。
車窓が見えない時間なので、すぐに飽きてしまう歩美は「お泊まりまだー?」「次おりるー?」を連呼、デッキに連れ出されて父の怒りのくすぐりを食らう。しずかにしてろー。
新潟には20時近くに到着。駅直結のホテルへ向かう。シングル料金を払い、明日の朝食券を受け取って歩美を引き連れ11階へ上り、部屋へ入るや否や歩美が発した言葉は「何か、狭いねぇ」。悪かったね。
歩美をユニットバスで洗い、テレビを少し見せていたら指をくわえて横になり出した。
明かりを消して、休ませる。今日はお疲れさま。あしたは念願の汽車ですよ。

2001/10/13(Su)
6:45にモーニングコールで目覚め、シャワーを浴びる。歩美はまだ夢の中、昨日は疲れただろうから、もうしばらく寝かせておこう。
いつもそうなのだが、T型髭剃りでヒゲを剃ると血が出る。プツプツと赤い水玉のようにだ。シェービングローションを使ってもだめなので、剃り方の問題か肌が弱いかのどちらかなのだが、今日もやってしまった。
テレビを見たりしていて、7時半を過ぎたところで歩美を起こし、顔を洗わせて4階の食堂へ向かう。
バイキング形式なので、昨晩フロントで受け取った食券を渡す。恐る恐る、5才児は別料金か尋ねたところ、にこやかに「結構ですよ」との答えが返ってきた。・・・この5才児は大人と同様に食べたりするのだが。
ソーセージや野菜炒めの類をとってやり、オレンジジュースとデザートにフルーツをつけて歩美はご機嫌、一人でもくもく食べている。相席したおじいさんがその食欲をみて笑っている。
私もコーヒーをすすりながらパンをほお張る。旅行中、こんなにゆったりとした朝食をとったのは初めてだ。私の旅行中の朝食と言えば、

  1. 雑貨店でパンを買い、缶コーヒーで流し込む
  2. カロリーメイトを缶コーヒーで流し込む
  3. 駅弁
  4. 立ち喰いそば
  5. 駅前の大衆食堂で朝定食
こんなもんだ。

40分ほどで食べ終わり、部屋に戻って支度して出掛ける。9:38発のSL列車に乗るために。特急とき
新潟駅は、カメラを抱えた鉄道ファンが3番ホームを埋め尽くしていた。SLは7番ホームからの発車なので、何か来るようだ。ホームの駅員に尋ねると、新幹線開業前まで上野−新潟を走っていた特急「とき」がリバイバル運転するらしい。それは写真に収めておきたい。
隣の2番ホームにも見慣れない列車が停まっている。「NoDoKa」と書いてある和風電車で、団体専用らしい。しばらくしてからお年寄りの団体を乗せて走り去って行った。歩美の仲の良い友達(彼?)が「のどか」くんというのだが、走り去った列車名が同じであることを歩美に教えると、大喜びで踊っている。またお調子者だ。
懐かしい国鉄特急色の車両が入線してきた。ヘッドマークには緑色のあの「とき」マーク、感動。方向幕もフィルムで再現してあり、よくぞここまで再現したものだ。関係局の努力に脱帽。地元のTV局や新聞なども取材に来ており、いかに花形列車であったかが分かる。
続いて7番ホームに、DE10型ディーゼル機関車に牽かれてSLばんえつ物語号が入線してきた。一番後ろに主役のC57180がひっついている。停車と同時に一斉に客がSLに群がる。私たち親子もその中に混じって写真撮影、しばらく訳も分からずホームで待たされて歩美はちょっとご機嫌斜めだ。
SLと歩美指定された席に荷物を置き、展望車へ行く。売店を併設した中間車輌があり、屋根まで窓が回り込んでいて見晴らしがよい。ここのソファに陣取る。隣に怪しげな鉄道ファンが座ってソバをかき込んでいるが、この際気にしないことにしよう。
定刻に発車。カーブにさしかかるたび前の方で煙を上げながら牽引しているC57が見える。子どもをダシにはしゃぎ回る父親は、傍目から見てやはり異様だろうか?
新津から磐越西線に入り、辺りに山が迫ってくる。それにしても沿線にカメラを抱えた人や物珍しさで手を振る人が多い。それほどにインパクトのある列車なのだ。
座席の後ろで、沿線の方が「縄ない」と草履づくりの実演を始めた。埃っぽいが、昔林間学校でやらされた覚えがあり、懐かしい。歩美は縄で作った動物をもらってご機嫌、車窓そっちのけで遊んでいる。おいおい、外見てよ。せっかく来たのにぃ。
津川で給水と点検のためしばらく停車する。給水はSLは当たり前だが、点検とは?
ここで使用されているC57180は、30年前に現役引退し地元の小学校で展示されていたものを修復して復活させたものだ。いわば、長島茂雄がトレーニング後4番サードで出場するようなもので、トレーナーの体調チェックが不可欠なのだ。
みんな車外に出て様子を見ている。私は駅を撮影しに駅前へ出て、ついでに様子を見ていたが、炭水車に上がって石炭をならしている。いやはや、重労働だ。
磐越西線の途中に、日出谷という小駅がある。昔から急行は停車せず、普通列車のための駅だったのだが、なぜか駅弁がこれまた古くからあり、気にはなっていた。いつの間にか時刻表から駅弁マークが消えて残念な思いをしていたのだが、このSL列車運転に際し、一日30個限定で当時のままの駅弁を販売するというではないか!
まもなく日出谷に着くというところで、車掌にどの辺りが買いやすいかを聞いておき、ドアが開くと同時にダッシュ!既に列ができていたが、もたもたしているヤツには目もくれずに整列。結局、最後の一個が私のものとなった。ラッキー!

幻の駅弁

展望車に戻り、歩美と幻の駅弁を食べる。鳥そぼろ弁当で、旨い。
さっぱり景色には興味がなく、前で懸命に牽引しているSLにも興味がない歩美。では何に興味があるのかといえば、いつも通りだ。「甘くてお腹に入るもの」売店のお菓子が気になってしょうがない。もはやあきらめの境地で、チョコボールを買ってやる。嬉しそうにゆっくり食べている。
そばで有名な山都でも10分ほど停車。やはり限定のそば弁当が販売されており、恐ろしい勢いで走っていくおばさんがいる。私は腹がくちているので触手が動かない。
喜多方で本来の座席へ戻る。パブリックスペースである展望車に3時間も居座って、悪い親子だ。
終点の会津若松に到着。みんなSLの前に群がり、写真撮影だ。歩美を運転台に上げて写真を撮る。やりたくもない写真撮影で、歩美はまたもご機嫌斜め、今日は感情がかみ合わない。SL運転台の歩美
土産を物色し、郡山行きの特急「ビバあいづ」に乗る。ネーミングにセンスがないが、車輌も半端な改造を受けた感じの車輌で、イマイチ。座席も狭く、席の間の肘掛けがない。
車内で発車を待っていると、会津鉄道のトロッコ列車が発車していった。窓がなく、気持ちよさそうだ。次はあれに乗りに来ようか、歩美?
さっきから鼻がムズムズする。掃除してみると、鼻の穴が真っ黒になっている。私の齢では現役のSL列車に乗ったことはないが、昔はみんなこんな感じだったのだろう。
磐梯山を眺めながら特急「ビバあいづ」は快走する。SL列車でも見かけた近くに座っている家族連れは、携帯電話で話している様子を聞くと、このあと乗る新幹線まで同じ列車のようだ。しかもご主人はわたしと同じザウルスを持っている。・・・似たような人はいるものだ。
郡山からの新幹線はMax二階席だ。歩美は靴を脱ぎタオルケットにくるまって外を眺めている。
居眠りしながらあっという間に上野、歩美にタオルケットを片づけるように言ったが、いっこうに動く気配がなく、しまいには片づけてくれとねだる始末。
程なく東京到着。降りるとき、歩美に警告。
「タオルケットを自分で片づけられないなら、持ってくんな!!!」
その場で歩みを止め、見る見る顔が崩れ、泣き出す歩美、そのまま歩き出す私、いっそう声高く泣き出す歩美・・・。新幹線コンコースは児童虐待絵図の如く、衆人の非難の眼差しが私に向けられる。
なだめすかして山手線に乗り、新橋でもう一度、冷静に諭すように話す。分かってもらえたようだ。
・・・自分が疲れていると、親としての未熟さが吹き出す感じで、後になって思い起こすと自己嫌悪の極致だ。浅草線が車輌故障で遅れていて、17:50ころ西馬込着。