青森乗ったり降りたり 2008.06.20〜24

青森乗ったり降りたり

■トレンクル長距離走行、どこへ行こうかな

トレンクルを手に入れて早いもので9ヶ月が経ち、長距離の走行がどれほど行けるものなのか試したくなり行き先をいろいろ考えた。駅間が長く未下車駅が多いのは青森・北海道で、いろいろ悩んだ末に距離的に手軽な、といっても東京から見たらどちらも遠いのだが、青森へ行くことにした。青森には最後の未乗鉄道である「青函トンネル記念館」のケーブルカーもある。

■2008/06/20(Fr) 会社から青森直行

朝から大荷物で会社へ出かける。輪行袋入りのトレンクルにリュックサック、それに紙袋二つ。月曜は年休を取り、火曜の朝に寝台特急「あけぼの」で帰ってきて会社へ直行する予定なので、ワイシャツの替えなども持って行かねばならないのだ。
日本橋のコインロッカーに荷物を預け、手ぶらで出社する。今晩の最終「はやて」に乗りたいので、上司に早めに帰りたい旨を告げ、さっさと仕事を片付けにかかる。

幸いにも会社を18時過ぎに出られ、バスで日本橋へ向かう。コインロッカーから荷物を取り出し、毎度お世話になるコレド日本橋のトイレで着替える。きれいで広いので助かる。
火曜日分の着替えと今日の洗濯物をまたコインロッカーへ預け、東京駅まで歩く。まだ明るい。それもそのはず、明日は夏至だ。
最終「はやて」33号に乗り込む。車両の一番後ろの席を指名買いしてあり、トレンクルを席後ろのスペースに押し込んで缶ビール片手に過ごす。
八戸で特急「つがる」33号に乗り換え、青森には0時過ぎに着く。東京駅からの所要は3時間59分、新幹線の速さに感覚がついて行っていない。
駅近くの宿「ホテルニュームラコシ」で泊まる。安いし駅至近で、去年津軽鉄道を訪ねたときも使っている。ツインルームらしいのだが、シングルほどの広さの部屋にベッドが二つ入っていて狭い。

■2008/06/21(Sa) 大湊線全駅踏破

朝5時に起きる。正味4時間ほどしか寝ていないのでさすがに眠いがシャワーで目を覚まして出発する。薄曇りだが雨は降らなそうだ。
青森駅では、明日以降に使う五能線パスを買っておく。東京や仙台へ向かう人が結構いて、窓口に列ができている。
始発の八戸行き特急「つがる」2号は空いていて、車両一番後ろの席に陣取りコンビニおにぎりの朝食をとる。
30分ほどで野辺地に到着。駅前をぶらつき、始発の大湊線に乗り込む。こちらも空いている。
遙か・・・
遙か・・・ <大湊線 有戸−吹越>

吹越で降り、防雪林などを見て回る。線路が遙か彼方まで真っ直ぐに延びていて、北海道的な景観が広がる。折り返して北野辺地でも下車、さらに折り返して有戸で降りる。
ここでトレンクルを袋から出し、組み立てて走り出す。出先で袋から初めて出して走り出すときの高揚感に、最近ハマりつつある。
松林が続く。背の低い幼木が多い。皆一斉に新芽を出している様子が異様で、思わず写真に収める。
途中、線路際に出られるところを見つけて行ってみる。大湊線を象徴するような、砂浜と防雪林に真っ直ぐな線路、天気が良く遙かに津軽半島が望める。
風力発電の巨大な風車が林立し、風が強い地域であることがわかる。大湊線は年に何度か強風で運休するらしく、それも頷ける。
松の子
松の芽 <大湊線 有戸−吹越>

雲が切れて青空が広がってきた。いい天気になりそうだ。日差しが強く、腕がピリピリする。
アップダウンのあまりない快適な国道をひた走り、2時間ほどで陸奥横浜駅に着く。駅近くは何もないが、坂を下ったところには商店が建ち並び、そこそこ活気がある。鉄道で降り立っただけでは街の雰囲気はわからない、改めてそう思う。これまでの私の駅下車スタイルだと駅から数十メートル歩いてみるのが関の山で、かなり多くの街を勘違いして覚えているのではないかという気がする。
トレンクルのリアタイヤがおかしい。空気がやや抜け気味なのだ。先日ガラス片を踏み抜きタイヤごと交換したばかりだが、空気をしっかり入れてこなかった。携帯ポンプはあまり役に立たない。どこかで空気を入れなくては。


やってきた列車で大湊へ。混んでいて座れない。盛況なのはいいことだがやや座席数不足ではないかとも思う。
大湊の駅は折り返し青森行き快速となる列車を待つ人でごった返している。JRバスの脇野沢行きが発車していく。
トレンクルを組み立て、走り出す。ふと右側のペダルに違和感を感じ、見てみるとガムがべっとり。どうやら踏んだことに気づかず漕いでしまったようだ。ガムを包まず道に捨てるなど、正気の沙汰とは思えないのだが。怒り心頭でまた漕ぎ出す。
途中のラーメン屋で昼食、蒲田インディアンのような透き通ったスープのラーメンで結構旨い。

遺構
大畑線遺構 <むつ市内>
しばらく列車がないため誰もいない下北駅に立ち寄り、この駅から分岐していたが数年前に廃線となった下北交通跡を訪ねる。残念ながら海老川駅は判然とせず、一部は築堤も切り崩され橋台だけが無惨に取り残されている。
古い町並みの残るむつ市の中心部を抜け、田名部駅跡に着く。駅舎もホームも健在。交番で自転車屋さんの場所を聞き、無事空気を入れ終える。良かった良かった。

近くに温泉施設があるはずなので行ってみると、なんと廃業していた。スーパー銭湯張りの立派な建物なのだが。。。
気を取り直してペダルを踏み、赤川駅を経て金谷沢駅へ。ここでトレンクルを畳み、列車に乗りついさっき寄ったばかりの赤川駅で降りる。しばらくぶらぶらして、大湊で折り返してきた列車にまた乗り有畑で降りる。酔狂なことだと我ながら思う。警官に職質されても説明に困りそうだ。
有畑ではまたトレンクルを組み立て、ややアップダウンのある国道を走る。牛が横たわる長閑な光景が広がる。
近川でまたトレンクルを畳み、小腹が減ったので持参のカロリーメイトを開けて待合室でおやつにする。日差しはあるのだが遠くに雨雲が見え、細かい霧のようなものが吹いてきて寒い。こんな天気は何というのだろう、雨ではなし晴れでもなし。。。

やってきた列車で下北へ一旦戻る。駅舎内に人が大勢いる。やはり駅には人がいないといけない。先ほど立ち寄ったときは廃線の駅かと思うような静けさだっただけに、よけいにそう思う。

これで今日は大湊線の全駅に下車、折り返し野辺地行きに乗る。混んでいて座れないので、一番前の運転士脇のスペースで前面展望を楽しむ。いわゆる『かぶりつき』だ。年輩の女性がいて、同様に『かぶりつき』しているのに驚く。
午前中に歩いた砂浜や松原の脇を抜け、野辺地には18時前に着く。すぐにやってくる東北線の普通列車で二つ隣の清水沢下車。古い鉄筋駅舎が健在で、どこかへ遊びに行った帰りだろうか、小学生くらいの男の子が自転車で家へ帰っていく。私もトレンクルを取り出し走り出す。ごくわずかだが雨が降っていて肌寒い。
国道4号を走ること30分ほどで小湊の市街へ着く。事前の調査では川の近くに銭湯があるはずで、うろうろするうちに見つかる。「みなと湯」と看板に書いてあり、明かりも灯っている。
さっそくお邪魔し、冷えた身体を暖めるのと同時に、今日一日頑張った自分の足を労う。広い風呂に浸かると不思議と落ち着く。
おふろやさん
お風呂屋さん <小湊市街>
髪も洗いすっきりしたところで腹が減ってきた。今日は蟹田に泊まるのだが、この先青森では数分の接続で蟹田行きに乗り換える予定で、蟹田の街は以前行ったときの様子からすると食事は期待できなそうだ。小湊の街で何か食べたいが、寿司屋とコンビニくらいしか見あたらない。寿司屋は予算の都合で却下せざるを得ない。
しかたないのでコンビニでおにぎりとビールを買い、駅で食べる。侘びしいが自分らしいな、とも思う。
猛スピードで黄緑色をした特急「白鳥」が通過していく。さすがは複線電化の東北本線、迫力が違う。
単行でやってきた快速「しもきた」で青森に着き、向かいのホームから出る蟹田行きの普通列車に乗り換える。津軽線は蟹田の先まで電化されているが、この普通列車は気動車だ。
各駅に停まって蟹田には21時過ぎに到着。辺りは真っ暗、コンビニだけが煌々と辺りを照らしている。廃屋が多くて少し怖い。
歩いて数分のところにある中村旅館で泊まる。素泊まり3500円で広めのお風呂もあり満足。ストレッチしていたら右太腿がつった。今日は一日で60キロ余り走ったからなぁ。

■2008/06/22(Su) 津軽線、そしてついに・・・

朝5時に目覚ましに起こされる。外はもう明るいが、厚い雲に覆われすっきりしない。しかも、肌寒い。
宿を出てトレンクルを組み立て、コンビニで朝ご飯を買っておく。林の中を行く県道を進むと津軽線がみえてくる。ほどなく中小国、小さな駅だがJRの境界駅なので名前が知られている。
さらにしばらく田んぼの中を走り、大平にてトレンクルを畳み朝ご飯にする。ホットの飲み物がすっかり冷たくなってしまった。
貨物列車
貨物列車 <津軽線 中小国>
それにしても寒い。失敗した。袖のある服を持ってきていない。もっとも、リュックはもう一杯で入らなかったかも知れないが。仕方がないので半袖シャツを重ね着する。いくらかマシだ。
遠くを海峡線の高架が分岐していくのが見える。重たそうな電気機関車の音がしたかと思うと、赤い機関車に牽かれた青い列車が現れた。札幌行き寝台特急「北斗星」だ。大小とりどりの窓がある車両は見ていて楽しい。

やってきた津軽線の列車に乗り、小一時間前に近くを通ったばかりの中小国で下車する。ホームがカーブしており、高速で通過する列車のためにカントがきつくだいぶ嵩上げしてある。
長い貨物列車が通過していく。ここは日本の大動脈の一部なのだ。

蟹田で折り返してきた列車に乗り、居眠りしながら今別で下車する。線路脇の細道を隣の大川平までトレンクルで戻る。雲が低く立ち込め、今にも頬に雨粒が落ちてきそうだ。
三厩で折り返してきた列車にまた乗る。そろそろ車掌に覚えられそうである。
隣の津軽二股で下車する。この駅は裏に巨大な海峡線の高架があり、その上には津軽今別駅がある。同じ在来線のものとは思えない規模の差があるが、それもそのはず、海峡線は新幹線を通せるよう設計されており、ここ津軽今別駅も新幹線開業の暁には「奥津軽」駅として新幹線が停車する予定なのだ。

まだ開いていない駅前の物産館前でトレンクルを組み立て、竜飛岬へ向けて出発。ここから約24キロ先の竜飛岬まで一気に向かう。出てすぐ、津軽線と海峡線の橋がちらっと見える。同じ軌間の鉄道橋とは思えない。
今別の洋館
今別の洋館 <今別市街>
さっきも通った道を通って今別を過ぎ、古い洋館風の建物に見惚れたりしながら進むうちに海が見えてきた。左に折れしばらく走れば三厩、駅の場所がわかりづらく、彷徨ってしまう。
しばらく列車がないので静まりかえる三厩駅でちょっと休憩し、出発。厩石という巨石がある。このあたりはことあるごとに史跡の説明が義経伝説に絡むようだ。

海辺の集落と海岸線をひたすら繰り返す。古くからの漁村のようで、建物を見ているだけで飽きない。
曇っていたのが遠くから晴れ間が近づいてきて、やがてその晴れ間に突っ込むような感じで青空が広がった。急に暑くなり、腕がひりひりしてきた。
アップダウンが増えてくるとトンネルも見られるようになり、やがて急に開けた感じがすると終点、竜飛の集落。太宰治ゆかりの宿や、先端の漁港には「津軽」作品中の竜飛崎を描写した一文の碑などがあり楽しい。
竜飛といえば
階段国道 <竜飛崎>
そして、有名な階段国道を行く。集落の狭い道におにぎり型国道標識が立つ様は異様である。当然自動車は通れないが自転車は何とかなるとの事前情報もあるので進む。
急勾配を階段でぐいぐい登る。あっと言う間に眼下に漁港が望めるようになる。歩きでもきついが自転車付きだとさらにきつい。たとえトレンクルでも。
空も海も真っ青で、山は緑。『いい天気』というのはこういう天候のことだろう、というような快晴になった。朝の肌寒い曇り空はいったい何だったんだ。
竜飛灯台
竜飛灯台 <竜飛崎>
汗だくで登り切ると、丘の上に白亜の灯台が見える。団体さん用写真撮影の係の方が声をかけてきたので一言二言話す。訛がきついが何とかわかるのは新潟生まれだからだろうか。
トレンクルを標識のポールににくくりつけ、歩いて灯台のある丘へ登る。今日は灯台内部を解放していて上に登れるらしく、迷わず行く。強い風で気を抜くと転びそうだが、快晴の灯台からは北海道がくっきりと見える。270度くらい海が広がるその眺望からは、地球が丸いのがわかろうというものだ。ふと知ったのだが、海の色は空の色なんだね。

展望台のようなところをふらふら歩き、絶景と風に圧倒されながら、この地下を通って向こう側の陸地までトンネルがあると言うことに思いを馳せる。すごいことだ。

またトレンクルに跨り、すぐ近くの石川さゆり歌碑に行く。言わずと知れた名曲「津軽海峡冬景色」。碑に付いていたボタンを押したら大音響で演奏が始まりぶっ飛んだ。歌い出しが「ごらんあれが竜飛岬」と続く二番からのスタート、でも、懐かしい。なお、一番の歌いだし「上野発の夜行列車降りたときから」の通り、青森駅近くにも歌碑があると会社の同僚に聞いた。

一通り曲を聞き、すっかり脳内にすり込まれて口ずさみながら走り、青函トンネル記念館へ。いよいよ来た、最終到達地。国内完乗が目前に迫ってきた。
最後の未乗区間
最後の未乗区間 <青函トンネル記念館>
表に展示してある人車トロッコがぼろぼろでいささか興ざめだが、気を取り直して入館。すぐに出発の体験坑道行きがあるので乗る。空いている小さなケーブルカーに乗り込み、出発。遮蔽壁がゆっくり上がり、地下への斜坑が現れた。不気味だ。

ゆっくり動き出したケーブルカーは数分で地下の体験坑道駅へ到着する。そして、地底で国内完乗を達成。自身のルールでは、筑豊電鉄の黒崎駅前-熊西が未乗だが、西鉄時代に乗っているので参考記録。正真正銘の未乗区間は、少なくとも営業キロのある区間としてはこれでなくなったはずだ。
体験坑道はトロッコのレールが残されていて、結構感じが出ている。展示物がやや古く詳しい内容を見るほど時間がないのが残念。
すぐ近くには竜飛海底駅があるらしく、相互に乗り降りできると楽しいが保安上の理由もあり無理そうだ。

地上に帰り、腹が減ったので食堂へ入る。海鮮ラーメンと海鮮丼のセットを勧められるまま頼む。海鮮ラーメンはどこで食べてもあまり変わりがなさそうな代物だったが、海鮮丼は確かに旨かった。
満腹になり、まず売店を覗いて会社や知人に土産を選び、自宅へ発送の手配をしておく。ついでに、トンネル湧水で入れたコーヒーが缶詰で売っているのでこれも送っておく。一度飲んでみたかったのだ。

館内を見て回る。ビデオが古いのはご愛敬だが、館内の資料は実に興味深く、地下深くに掘った技術者の方々には頭が下がる思いがする。

一通り見たのち外に出て、辺りをぶらつく。風が強く草か灌木しか育たない気候なので、山が妙に艶めかしい形をしている。

トレンクルを畳み、やってきた町営バスに乗る。来たとき通った道を戻る形で三厩駅まで30分ほど。少し居眠りしていたのですぐだった。
ちょうど列車が着いたところでけっこう下車客があり、さっきのバスが折り返して竜飛へ行くので皆車内へ吸い込まれていく。自転車を持った人もいる。

列車まで時間があるので、一駅先の津軽浜名へ向かう。途中、ふと会社の同僚が言っていたことを思い出した。この近くに青函トンネルの入口があるのだ。
青函隧道
青函隧道 <津軽浜名>
手持ちの地図を確認して行ってみると、ちょっとした公園になっていて特急列車の通過予定時刻まで書いてある。残念ながらしばらく列車はないのですぐ引き返し、津軽浜名の駅を目指す。
その津軽浜名駅は、高校の裏にあるため運動部の威勢の良い声が聞こえる。なかなか活気ある駅だが、駅そのものは片面ホームのみと貧相なもので開業してからの歴史も浅い。小腹が減ったのでまた持参のカロリーメイトでおやつにする。

ふと蟹田方を見ると妙な橋が津軽線を乗り越えている。古い鉄道橋のようだ。行ってみると見るからに林鉄のものと思われる幅の狭い鉄橋、柵に阻まれ渡ることはできないが、向こう側にも土手が続いている。手前側も道となって線路跡は続いているが途中でわからなくなる。津軽線開業後も林鉄と船による木材の積み出しが行われていたのだろうか。
程なくしてやってきた津軽線の列車に乗る。これにて津軽線蟹田以北は全駅踏破。ちなみに三厩は1993年に下車済み。

今朝から乗り降りしたり走ったりの区間を眺めながら蟹田を過ぎ、後潟で下車する。津軽線では数少なくなった木造駅舎を眺め、蟹田行きの列車にまた乗って蓬田に降りる。ここも木造駅舎が健在。
ここでまたトレンクルを組み立て、隣の郷沢まで田んぼの中を走る。一昨日新幹線で見た雑誌で、このあたりに玉を抱きかかえたような松の木があると書いてあったのだが、よくわからない。
信号場のような郷沢駅から、また列車で青森へ。今日は天気が良かったので夕日がまぶしい。腕が痛い。気がつけば腕時計の部分を残して赤くなっている。

青森に18:11着。3分前に発車している上野行き寝台特急「あけぼの」とすれ違う。
すぐに接続する深浦行き快速「深浦」に乗る。青森での買い物帰り客などで混んでいると予想していたがガラガラ、日曜夕方の都市部発の列車がガラガラとは。

岩木山
岩木山 <林崎−板柳>
この先弁当や食事は望み薄なので売店で弁当を探したが売り切れ、仕方ないのでかまぼことビールを買って車内で食べる。
川部からは五能線に入る。薄暗くなってきて、リンゴ畑と雲の帽子を被った岩木山が幻想的な雰囲気を醸し出している。まさにこの地を代表する景観と言える。

五所川原の一つ手前、陸奥鶴田で下車する。歩いて数分のところにある温泉「小泉温泉」へ行き、今日の汗を流そうと思う。
山田温泉という名の施設で、宿もあるらしい。広い湯船には熱い湯が掛け流され、いい気持ち。ただ、腕は痛くて沈められない。

さっぱりしたところで駅へ戻り、鰺ヶ沢行きに乗る。次の五所川原では津軽鉄道が接続しているが、すでに終列車が出た後で、ホームはひっそりとしている。まだ20時なんだが。
去年の7月に乗り降りした陸奥森田などの駅を過ぎ、終点の鰺ヶ沢には21時過ぎに着く。乗客は数えるほどしかおらず寂しい。
今日の宿は駅前にあるはずの尾野旅館、トレンクルを担いであたりをふらふらしていたら、宿のおかみさんが手を振っている。急いで向かう。
小学生のスポーツ団体さんの利用が多いらしく、部屋の間仕切りを一部取っ払ってある。しきりに恐縮しているがこちらは全く気にしない上に、むしろ広くていい。
今晩泊まっているのはどうやら私だけらしい。食事してきたか聞かれたので、軽く(カマボコを・・)食べた旨を伝えると、握り飯と焼き魚、おひたしを出してくれた。お礼を言って美味しく頂く。
腹がくちたら急に眠くなる。普段は見ないテレビを見ながらストレッチをしてから眠る。今日は52キロ走行、一度つりかけたがその後は問題なし。昨日今日で110キロ余り、思ったより走れることを知った。
明日は五能線だが、天気が下り坂らしい。場合によっては夕方の行程を組み替えないと。

■2008/06/23(Mo) 五能線は快晴

陸奥赤石駅舎
陸奥赤石駅舎 <陸奥赤石>
朝の日差しで目が覚めた。まだ4時半だが起き出して体操する。不思議なもので、旅へ出ていると食事面では不摂生になることが多いが生活習慣上はむしろ健康的になる。
支度してトレンクルを組み立て、5時半に出発。出がけにおかみさんに握り飯とお新香の朝飯を持たせて頂いた。感激。これで素泊まり4000円、下手なビジネスホテルよりはるかによい。

肌寒いが日差しがすでに強く、ちょっと漕いだらむしろ暑いくらいになった。まだ静かな鰺ヶ沢の街を抜け、海際の国道101号線を軽快に進む。今日も天気が最高に良い。海も空も真っ青。このまま持ってほしいと切に願う。
途中、陸奥赤石の駅で休憩する。木造の駅舎が健在。数時間後に列車で来るのだが、あまりに朝日が気持ちよく、順光で駅舎が映えるので、写真を撮っておく。
鰺ヶ沢から1時間弱で陸奥柳田に着く。ホーム片面の小さな駅だが待合室があるので、ここで朝食にしようと思う。
トレンクルを畳んでいたら、駅前の理容室の方が声を掛けてきた。朝の6時頃から家の前でガサガサやられてはさぞかし不気味だろうと心中を察し、騒がしくして申し訳ない旨謝っておく。
すると無害な旅行者だとわかって頂けたのか、水道をお使いなさいとうれしいお言葉、早速汗で汚れた手を洗い、今朝頂いた握り飯の朝食を開く。朝日のまぶしい駅のホームで頬張る握り飯は、10キロ漕いできた後だけにことのほか美味しい。

やってきた始発列車に乗り込む。わりあい人が乗っていて、観光客らしい人の姿も見られる。次の北金ヶ沢で数分止まるので駅前へ出てみると、学生が大勢たむろしており、程なくやってきた鰺ヶ沢方面行きにみんな乗り込んでいく。私もすぐ列車に戻る。

海辺の駅
海辺の駅 <驫木>
海岸線沿いを進む。奇岩連なる千畳敷や大戸瀬の海岸などを眺めながら列車は驫木に着く。ここで降りる。難読駅名として知られるが、通るたび降りてみたかった駅なのだ。海に面したホームと木造の小さな駅舎があるだけ、駅近くには人家もほとんどない。
誰もいない、最高の天気の下、独り占めの風景をしばし楽しむ。

トレンクルを組み立て、国道を風合瀬へ向かって走り始める。ややアップダウンはあるものの車も少なく走りやすい。左側にずっと海が続き、よそ見しないよう気をつけていてもちょっと見てしまう。危ない。

風合瀬の駅は入り口が判然とせず、人の家の庭先から駅へ入るような後ろめたい経路で到着する。駅近くに保育所があるようで、小さな子供を連れた人が来て子供を預けていく。
ここも駅から海が一望でき、ベンチに腰掛け呆けて過ごす。ふとお年寄りが声を掛けてきた。近所の方のようだ。訛りがきつく聞き取りに難儀するがわからないほどではない。昔機関車が高波で流されて大変だったとか、このあたりはいい漁場で海産物がうまいだとか、よく列車が止まるので不能線だとか、次から次へと話題が出てきて楽しい。

やってきた列車に乗る。観光客と学生が半々くらいで、残念だが海側の席は埋まっている。山側の席に腰掛け、海を遠目で眺めて過ごす。
2時間ぶりの陸奥赤石で下車する。日差しもあたりの風景も何も変わっていない。当たり前ではあるが。ここでまたトレンクルを組み立てて走り出す。

さっきも通った道をまた走り、陸奥柳田の駅前を通る。郵便局がある。9時なのでもう営業している。私は平日に旅をするとき、時間があれば郵便局ではがきを買って消印を押してもらうことにしている。人によっては自分宛にそのはがきを出すということをやっておられる方もいるようだが、私は持ち帰る。
簡易郵便局なので風景印はなく、普通の消印を押してもらう。あとで気づいたが、なぜか日付が6/28になっている。

しばらく走り北金ヶ沢の集落に入る。漁港もありなかなかの集落だが、北金ヶ沢駅はしばらく列車がないためひっそりとしており、先ほどの盛況が嘘のようだ。古い港町らしい密集感のある街を抜け、海岸沿いをひた走る。
千畳敷
千畳敷は強風 <千畳敷>
しばらくすると海岸に平たい岩場が現れる。景勝地の千畳敷で、平日だしどちらかというとシーズンオフなので誰もいない。ちょうどいいので休憩とする。
岩場に降りてみる。千畳敷と言うだけあり、ずいぶんと広い。風が恐ろしく強く、波が岩に当たり白く砕けている。この風ではとても穏やかに弁当を広げたりはできなそうだが、夏はいくらか弱まるのだろうか。

飲み物で喉を潤し、もうひと踏ん張り。間違えて勾配のきつい新道を走ってしまい戻る形で大戸瀬駅に着く。いくらか人家があるがひっそりしている。トタンで覆われた木造駅舎が残っている。
キハ40系の気動車ばかりがやってくる。カラーリングも昔と違い寒色系で、もっと暖色系にしたほうがいいような気がする。
一駅だけ列車で戻り千畳敷で下車。先ほど休憩したところの目の前に簡素な駅があるのだ。当線の目玉列車「リゾートしらかみ」の一部の列車はここでしばらく停まるらしく、発車時刻が近づくと警笛で合図してくれるらしい。
さっきも腰掛けたベンチで一休みし、しばらくしてやってきた深浦行きの弘南バスに乗る。
ずっと海岸線を行くのかと思いきや急に山を登り出し、高原のような景色が広がった。野原の先には海が見えるという絶景。海岸沿いより人家もある。知らなかった、このあたりは駅近くより山の上の方が人の生活に近いのだ。
小さなバス停ごとに乗り降りがある。勾配のきつい土地柄だがまだ公共交通が機能しているように見えて嬉しい。

海岸と高原の上り下りを何度か繰り返し、追良瀬の集落に入る。ここでバスを降り、トレンクルを組み立てて追良瀬川をちょっとだけ遡上してみる。
それにしても暑い。夏真っ盛りのような日差しが容赦なく腕に降り注ぎ、痛い。気温も上がり汗が流れる。数キロ登って折り返す。
追良瀬駅で最後のカロリーメイトを頬張る。もうすぐお昼、腹が減ってきた。
赤茶けた奇岩の袂のトンネルをくぐって列車がやってきた。乗り込みすぐ次の広戸で下車すると乗客が驚いた目でこちらを見ている。小駅から小駅への利用は奇特だという証でもある。

勾配と絶景
勾配と絶景 <広戸−深浦>
ここから艫作までが、今回の旅でもっとも勾配がきついと覚悟している区間である。遠くに山を巻いて登っていく道路が見えている。意を決して走り出す。絶景が隣り合わせなのでさほど辛いとも感じずまずは一尾根をクリア、深浦の集落へと入る旧道を行く。
古くから栄えた街のようで、漁村らしい風情が残る。急に開けたと思うと深浦駅で、観光バスが待っている以外は閑散としている。
ここも太宰治ゆかりの宿が記念館で残っている。そんな史跡をかすめ、港を眺めながら走る。
人家が途絶え、海岸に洗濯岩のような岩礁が続くようになる。全体に緩い上り坂で、車体が軽いトレンクルだとちょうど良い負荷でむしろ走りやすい。
やがて若干の民家が見えてくると横磯駅、高台にあり海を望むような小さな駅で、静かだ。
再びトレンクルに跨り進む。そろそろ艫作も近いかな、というところで結構な勾配にさしかかる。しかも長い。懸命に登るが途中で息切れ、青息吐息で途中のラーメン屋の駐車場に入って休憩する。気合いを入れ直し出発、登り切るとやや下りが続き、待望の艫作の集落が近づいてきた。
黄金崎不老不死温泉
次は入るぞ! <黄金崎不老不死温泉>
ここには海に温泉が沸いていることで有名な、黄金崎不老不死温泉があり、案内があるので行ってみる。ただ、列車まであと40分程度しかない。
海岸にある温泉なので、急勾配をぐんぐん下る。風呂を浴びてからこれを登るのか、と思うと気が遠くなる。
時間があまりないこともあり、悩んだあげく今回は入浴見送り。入口の写真だけ撮って泣く泣く撤退する。

撤退するのに坂があるのは風呂に入ろうが諦めようが一緒で、つづら折りに走って何とか登り切る。足が破裂しそうだ。
坂の途中に五能線全通記念碑がある。最後に開業したのはこのあたりだったか。
艫作の駅は古くは交換駅で、貨物の取り扱いもあったようだが、今は無人の大きい駅舎が迎えてくれるだけ、駅前の雑貨店でパンを買い昼食にする。海からの涼しい風が無人の駅舎を吹き抜けていき、坂登りで火照った身体に心地よい。
列車が到着する間際に、黄金崎不老不死温泉のマイクロバスが数人の客を乗せてやってきた。どうやら送迎バスらしい。そんなものがあったのか!と悔やんでみてももう遅い。次回のお楽しみ。列車はさっき広戸で降りた車両で、深浦でしばらく停車して来たらしい。
次のウェスパ椿山はここまで続いたひなびた漁村や荒々しい岩肌と無縁な、メルヘンチックなテーマパーク然としている。山の上へモノレールのような軌道が延びており、これはこれで興味がある。

陸奥沢辺で下車する。駅舎内に40年前の当駅の様子の写真が飾ってある。蒸気機関車が混合列車を牽いている。そういえば五能線は最後まで混合列車が走っていた路線だったはずだ。
トレンクルを組み立て、陸奥岩崎へ向け走り出す。白神山地が迫り、神々しい山々と海を眺めながら走る。途中、岩崎の漁港近くにある弁天島という島に立ち寄ってみる。港独特の臭いが立ち込める先に神社などがあるが、島に渡る道がわからないので引き返す。

陸奥岩崎は最近まで交換駅だったのか対向ホーム跡が鮮明で、駅舎も大きい。あたりも賑やかだ。十二湖へ行くバスの発着もある。のどが渇いたので、普段口にしないコーラを買って飲む。旨い!
やってきた列車で能代へ向かう。十二湖は一度行ってみたいが、自転車で行くところではなさそうだ。青池を一度見てみたいと思う。居眠りしながら進み、岩館では数分停車、リゾートしらかみと交換する。
日差しがやや傾いてきた頃、向能代に到着する。降りると高校生が結構いる。学校帰りらしい。トレンクルを組み立てていると高校生の視線がやや気になる。一回り以上歳が違う彼らの視線が気になるとは情けない。
気を取り直し、海沿いの能代温泉へ向かう。今日は一日快晴で、昨日の天気予報はなんだったんだ、と思うような晴れっぷり。汗もかいていて一風呂浴びないと眠れなそうだ。一度温泉に入り損ねてもいる。

地図を頼りに進むが迷い、気が付くと砂浜に出ていた。うろうろしながらようやく着いたのは能代市民保養所はまなす荘、ひなびた感じの浴場だ。
はまなす荘
はまなす荘 <能代>
代金を払うその脇のソファで、猫が眠りこけている。見れば至る所に猫がいる。猫好きは思わず撫でてしまう。
温泉は無色透明、掛け流しで気持ちいい。湯温もちょうどいい。腕はやはりひりひりして浸かれない。
平日夕方明るいうちから温泉に浸かり過ごす、なにやら罪悪感があるが、明日は朝から仕事である。

さっぱりしたところで能代市街へ向かう。出発の準備をしていると年配の男の人が声をかけてきた。トレンクルに興味を持つのは不思議と年配、それも男と決まっていて、興味深そうにトレンクルを見ながら、どこから来たかであるとか、どこへ行くかであるとか、重さや値段などをあれこれ聞かれる。
ひとしきり話して走り出すと、目の前で軽自動車が停まった。見れば先ほどの年配の男の人とその奥様とおぼしきご婦人、頑張ってね!とのお言葉とキャンディー、それに缶コーヒーを頂いてしまった。嬉しくなる。

車の多い道を市街地へ向かう。幅の異様に広い道が続き、立派な街だと感じる。なぜ道幅が広いのか。よくあるのは空襲で焼け、都市計画がやりやすかったという例だが、古い建物も残っている。
能代の立派な駅を眺め、夕食を食べに街を彷徨うがめぼしい店がない。駅前をしばらく行ったところにそば屋を見つけて入る。ここがけっこう当たりで旨い。そば湯も頂き満足して出る。

能代駅へ行くと列車が出たばかり、次の東能代行きだと、今晩の宿たる上野行きの夜行寝台特急「あけぼの」に間に合わないので、トレンクルで東能代へ向かう。
日が暮れてきたのでライトを頼りに走る。それもそのはず、いくら一昨日が夏至とはいえ、今は19時半だ。東能代で売店が開いていなかったら悲しいので、途中のコンビニで念のためビールとつまみを買っておく。
すっかり真っ暗になった20時前に東能代に到着、売店は開いており、お土産と追加のつまみを買っておく。
「あけぼの」が入ってきた。先頭はカシオペア塗装のEF81、B寝台の個室に転がり込む。進行方向にベッドがあるタイプで、窓が広いのだがトレンクルの置き場がない。仕方がないのでベッドの足下に置いておく。
照明を消し外が見えるようにしてビールを開ける。うまい。今日一日で約70キロ走った。この旅で合計180キロほど走っている。帰ったらトレンクルを念入りにメンテナンスしてやらねば。
窓に雨が当たり始めた。危なかった。ほとんど降られなかったことに感謝したい。
酒を飲み終え眠る。故郷の新発田停車まで起きていたいが、深夜1時近いのでやめた。
あけぼのソロ
あけぼのソロ <あけぼの車内>

■2008/06/24(Tu) 青森から会社直行

目が覚めると大宮に停まっている。歯磨きするために起き出す。東京は曇りのようだ。
上野に定刻、6:58着。トレンクルは駅構内のコインロッカーに預け、駅近くのサウナ東泉へ向かう。ここで風呂に入りさっぱりしたところで銀座線に乗り日本橋へ。金曜日に預けた着替えをコインロッカーから出し、コレド日本橋のトイレへ向かう。 夕方着替えをするときは空いているトイレが朝は混んでおり、時間があまりないので東西線のトイレに行く。こちらは空いていて楽に着替えられる。
すっかりサラリーマン姿に戻り、着替えをまたコインロッカーに預けて出社。日焼けの凄さに海外にでも行ってきたのかと訝しまれたのは言うまでもない。関東はずっと雨だったらしいし。

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